
学校の教科書で習い誰もが知っている法隆寺を、「ベタな奈良・斑鳩編1」として回ってみた。
法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として世界遺産にも登録されているが、正確な建築年はわかっていない。
寺の創建は、金堂の薬師如来像光背銘から推古天皇15年(607年)とされている。
その中で日本書紀に記載されている天智9年(670年)の伽藍焼失の証拠として、旧伽藍である「若草伽藍」が発掘されたことにより法隆寺は、一度焼失してから再建されたということが確実となった。
しかし再建年が記載されていないため、法隆寺資財帳に記載されている持統7年(693年)の法隆寺仁王会(金堂は完成)までで、いつ頃再建されたかの証拠が見つかっていない。
和銅4年(711年)には、五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成したという記載があるため、現存する世界最古の木造建築には間違いない。
そして、木造の寺院でありながら大火災に遭遇してない運の良い寺であり、1300年以上の歴史的文化がすべて残っている。
文化遺産の数は、国宝134点・重要文化財2307点(全体的指定と個々の指定があるので重複しているものもある)にのぼる膨大な数である。
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それでは、この魅力的な「法隆寺」を回ってみることとする。
基本的なルート
基本的なルート
「法隆寺iセンター」⇒「南大門」⇒「中門」⇒「西院伽藍入口」⇒「金堂」⇒「五重塔」⇒「大講堂」⇒「回廊」⇒「西院伽藍出口」⇒「鏡池」⇒「大宝蔵院」⇒「東大門」⇒「東院伽藍」⇒「夢殿」
法隆寺iセンター
時間があれば、法隆寺iセンターで情報収集しよう。
「斑鳩の里観光ボランティアの会」で観光ガイドを無料で頼める。ガイド希望日の一週間前に予約しておけば確実だが、空いていれば当日でも可能ある。
斑鳩の里観光ボランティアの会>>こちら
そして、2階の宮大工棟梁「西岡常一の世界」がおすすめである。
昔の大工がどうやって1300年持つ木造建築物を建てたかが図解でわかる。
1階には、「夢殿」の木造模型や法隆寺金堂の柱の実物大の「シンボルオブジェ」など興味ある資料もある。
法隆寺iセンターから南大門へ
法隆寺iセンターから北に向かって歩くには、参道を歩くか?土産物屋のある歩道を歩くか?のどちらかである。
今回は、参道を歩くことにする。参道は松林の間の長い直線である。
そして、南大門に到着!!
南大門の石段の下に魚の形をした大きな石がある。これは「鯛石」と呼ばれており、大和川が氾濫して、大和の国が洪水に見舞われても、この鯛石のところまでしか水が来なかったといわれる.
国宝南大門は法隆寺の玄関にあたる総門です。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建された。
南大門から中門へ
南大門から石畳を歩くと正面に中門が見える。
西院伽藍の本来の入口となる中門は、柱間が4間といういう珍しい造りで真ん中に柱がある。
深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものである。
重厚な扉と左右に立つ金剛力士像は、日本に残っている最古のものである。
向かって右は開口の阿形(あぎょう)像で奈良時代の塑像である。
しかし左の口を結んだ吽形(うんぎょう)像は頭部は奈良時代の塑像であるが、胴体は鎌倉時代に修繕された木像である。
伽藍入口から西院伽藍に入る
回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。
平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていた。また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられている。
金堂
建物の中には、金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)や、金銅薬師如来座像(飛鳥時代)そして、金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背の上に静かに立っている。
五重塔
高さ31.5mの五重塔は、わが国最古の五重塔として知られている。
五重塔の内部には、奈良時代の塔本四面具といわれる塑像群が安置されている。
東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されている。
塑像は、個々が国宝であり80点にのぼる。
(▲ 北面の釈尊の入滅塑像)
大講堂
大講堂には、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像が安置されている。これは平安後期の作で丸みのある顔だちをしている。
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東側の回廊の出口から大宝蔵院へ
正岡子規の句碑「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
国宝の宝庫「大宝蔵院」には、仏像や厨子そして工芸品などの寺宝が展示されている。
白鳳時代の夢違観音像・飛鳥時代の玉虫厨子・橘夫人厨子・橘夫人厨子・白鳳時代の橘夫人厨子そして、百済観音立像が安置されている。
(▲ 百済観音立像)
百済観音立像は、像高210.9cmで飛鳥時代の製作といわれているが、法隆寺の古い記録には残っていない。
通常の仏像に比べて痩身で頭部が小さく8頭身に近い。右手は直角に曲げ、左手は水瓶を持つ。
東院伽藍
この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つである。
外側から見れば1棟であるがが、内側からみればM型の2棟が見える。
東院伽藍は八角円堂(夢殿)を中心とした伽藍で、聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、聖徳太子を偲んで天平11年(739)に建てられた伽藍である。
夢殿の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置されている。
秘仏救世観音像は、春と秋の2回厨子が開扉される。
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(奈良まほろばソムリエ検定記述式 第6回 見学コース)