
奈良県の桜といえば吉野の桜を思い浮かべますが、奈良には他に有名な「奈良八重桜(ナラノヤエザクラ)」があります。
「奈良八重桜」は百人一首の中にもある、有名な「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」という和歌にも詠まれています。
「奈良八重桜」は、ソメイヨシノが散った後の4月下旬~5月初旬頃に楽しめる遅咲きの桜です。
2016年4月24日開催された、きたまち「奈良八重桜巡り」に参加し奈良公園内の「奈良八重桜」を巡ってきました。
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奈良八重桜
「奈良八重桜」は、奈良にある八重桜の総称ではなく「ナラノヤエザクラ」という品種の1つです(ノがつきます)。
カスミザクラが突然変異で八重桜(重弁化)になったものです。
4月下旬から5月上旬に、白色ないし淡紅白色の花を咲かせます。
つぼみは濃いい紅色で、開花すると白淡い紅色になり、散り際にはまた紅色を深めます。
散る際は、ひらひらと花びらが落ちるのではなく、花全体が落ちます。花は鹿が好んで食べています。
1923年には「知足院奈良八重桜」が天然記念物に指定されました。
「奈良八重桜」は、「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」
”その昔、華やかに栄えていた奈良の都の八重桜が、今日はこの九重に門をめぐらした貴い宮中で、ひときわ美しく咲き誇っています”
この和歌は小倉百人一首にもなっており、「詞花集」の中で伊勢大輔(いせのたいふ)がで詠んだ歌として撰ばれています。
また、奈良を代表する花として奈良県花・奈良市章・市花や奈良女子大学の校章に用いられます。
(▲左側が奈良市章 右側が奈良女子大学校章)
奈良八重桜は、天平の昔、聖武帝が三笠山の奥の谷あいでご覧になり、その話を聞かれた光明皇后がその一枝でも見たいとおっしゃられたので、これを宮庭に移植してお目にかけたという所伝があり、その後この名桜は孝謙女帝の御代(みよ)、興福寺の手によって東円堂の前に移されたと伝えられています(奈良名所八重桜)。
このように、有名な桜ですが、実際にどれが「奈良八重桜」か知っている人は少ないと思います。
実は、奈良公園に植えられている桜は1720本あり、その内820本が「奈良八重桜」だそうです。奈良公園で奈良八重桜に出会う確率は非常に高いといえます。
「奈良八重桜」の不幸なことは、花期が染井吉野や他の桜に比べて遅いので、他の桜が散って忘れた頃に咲き始めるので関心が薄れていることです。
また、花が小ぶりで葉がいっしょに出るため、染井吉野のような派手さがなく花の盛りの期間も短く、人知れず散ってしまう事が多いようです。
奈良八重桜巡り
奈良八重桜の特徴は、
カスミザクラが重弁化したもので萼(ガク)は5枚あります。
奈良公園にはよく似た奈良九重桜があります。
ヤマザクラが重弁化したもので萼(ガク)10枚です。
開花時期は、奈良八重桜より早いです。
一番わかりやすいのが、奈良公園内の桜木の幹に印が付いてる印です。
「八」札か白いリボンが「奈良八重桜」、「九」札か青いリボンは「奈良九重桜」です。
全部の桜についている訳ではありませんが、何本か印を見てから花を見るとすぐにわかるようになります。
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奈良女子大構内の奈良八重桜
奈良文化会館の奈良八重桜
興福寺の奈良八重桜
2009年今上天皇(在位中の天皇)の御在位20年と御成婚50年をお祝いして奈良八重桜を献上し、それを記念して植樹されたものです。
残念ながら殆ど散ってました。
興福寺東円堂跡
現在は焼失している興福寺東円堂ですが、奈良の都の八重桜として古くから記録にあります。
奈良県庁(登大路駐車場)の東側
登大路駐車場の国道369号(旧京街道)を越えた西側には、多数の奈良八重桜・奈良九重桜があります。
花が咲いているのが奈良八重桜で、散って緑色の葉が美しいのが奈良九重桜です。
奈良春日野国際フォーラム別館付近
このあたりには、奈良八重桜だけでなく変わった種類の桜が咲いています。
大仏殿入口付近の桜
戒壇堂付近の奈良八重桜
知足院裏山の奈良八重桜
知足院裏山で発見された桜が、古くから和歌や書物に伝えられてきた「奈良八重桜」と特徴が一致し天然記念物に指定されました。
発見したのが岡本勇治で、天然記念物調査委員の三好学が論文を発表し、学名Prunus Antirua(Prunusは「サクラ属」・Antiruaは「古代の」という意味)、日本名nara-no-yaesakuraとしました。
伊勢大輔の故事をふまえ由緒ある桜にふさわしい名前を授けたのです。
転害門前の奈良八重桜
少し遅かったみたいです。