神秘に包まれた東大寺二月堂「閼伽井屋」でのお水取り

3月1日~3月14日の「お松明」で有名な東大寺二月堂の修二会ですが、その中でも「お水取り」といわれている行法は12日の深夜(13日早朝)に行われ、しかも「閼伽井屋(あかいや)」というお堂の中で行われるため神秘に包まれています。

「閼伽井屋」の中に入れるのは、練行衆(修二会を行う僧侶)の中でも咒師(しゅし)と呼ばれる役職者と、汲み上げの補助をする堂童子・庄駈士(しょうのくし)だけしか入れません。

また、「閼伽井屋」の中には明かりがなく真っ暗な状態であり、手探りで行われるのもいっそう神秘さが増す理由です。

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「お水取り」の由来

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言い、日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の前で懺悔することを意味します。

お水取りは、若狭の国の遠敷明神が魚を採っていて二月堂への参集に遅れたため、お詫びとして二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったのが由来です。

これは、二月堂縁起の中に記入されています。

「実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参す。神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、にはかに岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす」

お水送り

お水取りは、3月2日の福井県小浜市神宮寺の「お水送り」から始まります。

「お水送り」は、神宮寺と遠敷川(おにゅうがわ)鵜の瀬(うのせ)で行われます。
10時から下根来八幡宮の長床で、外陣の柱に勢いよく「山」「八」と書いて豊作を祈願する山八神事が行われ、13時からは神宮寺本堂で修二会がが営まれ、弓打ち神事、弓射大会が行われます。

その後、大護摩に火が焚かれ山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に、大護摩からもらいうけた火を手に、三千人ほどの松明行列が、2Km上流の鵜の瀬へ向かいます。

鵜の瀬で護摩が焚かれ、送水神事の始まります。
送水神事は、白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぎます。

このお香水は、10日間かかり二月堂の「若狭井(閼伽井)」に届くとされ、3月12日に「お水取り」が行われます。

遠敷明神が水を送った話は、平安時代院政期の「東大寺要録」に見られます。
また、若狭には「若狭管内井越前敦賀寺社什物記(1667年)」や「若洲管内社寺由緒記(1675年)」などで伝承されています。

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深夜に行われるお水取り

13日の1時50分頃、咒師は咒師帽をかぶり、洒水器(しゅすいき)と散杖(さんじょう)を持ち水取衆の先頭に立ち二月堂の南出仕口から出堂します。平衆(北二以下5名)は牛玉杖と法螺貝を持ち水取松明に点火し咒師に従います。

南階段上で、待機していた堂童子や堂子・庄駈士(しょうのくし)を従え行列を作ります。

先頭が、咒師松明を抱えた堂子・咒師・平衆・御幣と楚(すわえ)を持った講社の人・駈士・閼伽桶を担いだ庄駈士・堂堂子は閼伽桶を小脇に抱えて咒師の傍に立ちます。

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(▲ 閼伽井桶飾り 閼伽井屋から堂内に香水を運ぶ時に用いる)

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(▲ 汲んだ水を入れる閼伽桶)


(▲ お水取りの行列)

法螺貝の合図により、階段を下り途中の興成社でお詣りしてから、閼伽井屋に向います。

閼伽井屋に入るのは、咒師と堂童子・閼伽桶を担いだ庄駈士だけで、平衆5人が入口を警護します。
香水は2荷ずつ3往復して二月堂に汲み上げます。

無事香水を汲み上げが終わると、咒師は堂童子を伴って閼伽井屋を出て再び行列を整え二月堂に戻ります。

残念ながら、閼伽井屋内で行われている秘儀は誰も見ることはできません。

興成神社

お水取りの行列は途中の興成神社(こうじょうじんじゃ)でお詣りします。

興成神社は、修二会行法を守護する三社(興成・飯道・遠敷)のひとつで、遠敷が若狭より送水されたおり、黒・白、二羽の鵜が岩盤を打ち破って出てそのあとから甘泉湧出したのが若狭井(閼伽井)で、鵜を祀ったのがこの興成神社です。

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(▲ 興成神社)

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(▲ 二月堂縁起 室町時代 天文14年(1545) )

二月堂縁起は、修二会(しゅにえ)の創始から二月堂観音の利益(りやく)までの説話を表した絵巻です。写真は、本尊の十一面観音に供える香水(こうずい)が湧き出た場面です。画面下の岩から白黒2羽の鵜(う)が飛び出し、そこから香水が湧き出しました。現在の閼伽井屋(あかいや)はその場所で、この香水を汲むことから修二会は「お水取り」とも呼ばれているのです。

出典:奈良国立博物館

閼伽井屋について

閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。サンスクリット語のargha(アルガ)の音写で、功徳水(くどくすい)と訳される。閼伽井から汲まれた水に香を入れることがあり、閼伽香水とも呼ばれることもある。

インドでは古く、来客に対し足をそそぐための水と食事の後口をすすぐための水が用意されたといい、それが仏教に取り入れられ、仏前や僧侶に供養されるようになったものである。

閼伽を汲むための井戸を「閼伽井」、その上屋を「閼伽井屋」、「閼伽井堂」と称される。また、閼伽を入れる瓶(びん)を水瓶(すいびょう=軍持)と称し、閼伽を入れる器を「閼伽器」、閼伽を供える棚を「閼伽棚」と称される。
出典:ウィキペディアより

二月堂の閼伽井は、天平勝宝8年(756)の「四至図」にもこのあたりに「井」と記されており、天平18年(746)に良弁が始めたと伝わる「東大寺桜会(法華会)縁起」にもみられ古くから東大寺上院の主要な井戸であったと考えられています。

井戸に井屋が設けられた時期は明らかではないですが、治承4年(1180)の兵火で焼失しています。修二会は、焼失した翌年にも行われているため、焼失後間もなく復興されたものと思われます。

現在の閼伽井屋は、桁行3間・梁行2間で内部は土間になっており、東西に2個の方形の井戸がならんでいます。
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(奈良県文化財保存事務所「東大寺二月堂閼伽井屋災害復旧修理記録」より)

一般にはまったく公開されておらず、その状況も詳しく紹介されていません。

寛文7年(1667)二月堂消失時に破損し修理が行われ、明治44年に解体修理がありその時に井戸の松香石の端石を取り替えました。
その後、昭和36年の室戸台風で良弁杉が倒れ、大棟中央に当たり大破したので解体修理が行われました。
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閼伽井屋内で行われていること

「ならら2010.2月号」の中に、咒師の経験が豊富な平岡昇修師のインタビューがあったので紹介しておきます。

「汲み上げると言っても、実際に行うのは堂童子で、咒師は井戸の脇に座して、呪(しゅ)を唱えています。真っ暗でよくみえない中で行われる作業のため、どうしてもいっしょに泥まですくってしまうので、二月堂に運んだあとは、これを大きな桶に入れて一日静かに寝かせ、ある程度沈殿させた上で晒の布で濾す必要があります。13日の大導師の祈願の時に水を濾す作業をします。

須弥壇の下には香水を入れる壺が、南に3つ、北に2つ納められていますが、北の2つのうち1つが「根本香水」と言われているものです。これは毎年毎年注ぎたされていく水で、水取をはじめた当初からの水が、この壺の中に入っていることになるのです。いわば修二会の歴史がここに溶け込んでいるのです。

新しく汲み上げられた水は南側の壺に移します。水取の前日11日に残り具合を確認して、一番少ないものの水を空けて掃除をし主にその壺に、今年汲んだ水を入れていきます。・・・・・

その年の水は壺に入れた後も再び静かに寝かせ、実際に使われるのは来年以降ということになります。
走りが終わった後の練行衆には根本香水が、諸役・聴聞者には昨年に汲んだお香水が授与されます。

香水

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