「大和高取城跡」紅葉と壮大な石垣で魅了される!!奈良県高取町

標高584mの高取山に築かれた山城は、日本三大山城と言われている。
南には吉野山を望み、北には奈良盆地を見渡すことができる絶好の地に築かれた堅牢な城である。

200
▲出典:奈良産業大学

近くの観光地として明日香があるが、観光客が高取まで来ることは少ない。しかし、現在も残る石垣からその壮大さは想像することができ、恵まれた自然の中を歩くことにより、歴史のロマンに触れることができる。

交通の便が悪いことから観光客が少なくゆっくり、高取城の魅力に触れることができるのが強みでもある。

広告

歴史

高取城は、南北朝時代から越智氏・本多氏・植村氏の居城となってきた。

元は南北朝時代に南朝方に味方した越智氏が、空堀を掘って築いた「かきあげ城」が始まりである。かきあげ城は、天守閣を持たず自然の地形を利用し、堀や土塁で築いた簡単な城である。

その後、天正13年(1585)に郡山城に入った豊臣秀長が、要害の地にある高取城を重視し、家臣の本多氏を入城させ整備をさせた。これにより、山城でありながら見事な天守閣を持つ雄大な城となった。

江戸時代になり、寛永17年(1640)に植村家政が二万五千石の大名として高取城に入り、明治維新まで藩主として続いた。
当初は、藩主は城内に、家臣は山頂や山腹の郭に住んでいたが、平和な時代が続き生活の不便さより、山麓の城下町近くに屋敷を設け移り住み、一部の藩士が山上の城郭を守る体制としていた。

「巽(たつみ)高取 雪かとみれば、雪でござらぬ 土佐の城」
と謳われたほど、大和盆地の各所から白亜の天守や櫓を望むことができた。

ここでいう土佐は高取城の城下町のことで、土佐の国から都造営のために連れてこられて故郷へ帰れなくなった人たちが、望郷の思いからこの地を「土佐」と呼ぶようになったといわれている。

200

明治政府の城郭廃棄により解体されることとなったが、石垣はほぼ完全な形で残ったため、昭和23年(1953)国の史跡に指定された。

高取城の石垣と紅葉

高取城は城内(ニノ門より内)と郭内(釘抜門より内)に分けられる。城内は、約10,000平方m、周囲約3Km、城郭は約60,000平方m、周囲約30Kmという広大な物で、山城としては日本一といわれている。

三層の天守、小天守を擁し、27の櫓、33の門、土塀2,900m、石垣3,600m、橋梁9、堀切5ヶ所があった。
dsc07469-1

dsc07525-1

dsc07502-1

紅葉の季節になると、石垣と紅葉のコンビネーションが人気だ。

dsc07232-1

dsc07499-1

dsc07199-1

dsc07264-1

そして、切り倒した木の根元側に直接彫った天守閣や熊も人気だ。

dsc07482-1

dsc07211-1-2

dsc07483-1

大和平野全体を見渡せる眺望も人気の秘密だ。
dsc07491-1
dsc07223-1

自分の領地を見ていた国見櫓からの眺望は格別だ。

dsc07441-1

高取城へのアクセス

100

電車バスを乗り継いで行くには、

近鉄壷阪山駅から古い町並みの土佐街道を経由してハイキングコースを進む登山道を約4.5km歩くコース(徒歩約2時間程度)と、壷阪山駅から奈良交通バスで壷阪寺まで行き、バス停から途中の五百羅漢を経由して山道を登るコース(約1時間程度)の2ルートがある。

土佐街道からのハイキングコースは、見所がいっぱい。

dsc07084-1

dsc07133-1

壺阪寺からのコースにも、五百羅漢等石仏の宝庫

dsc07304-1

dsc07323-1

dsc07332-1

車で行くには、

壺阪山駅から車で約15分程度で、七つ井戸側に、3台程度駐車できるスペースがある。
五百羅漢付近から道路の幅が大変狭くなっており、カーブ等も多く見通しが悪いので注意が必要である。

広告

九州を応援しよう!!

【九州ふっこう割】
熊本県で起こった大地震の影響で、九州全体の観光が大幅に落ち込んでしまいました。 九州を応援するため、熊本・大分県が最大7割引、福岡県・佐賀県・長崎県・宮崎県・鹿児島県が最大5割引の宿泊券・旅行券が2016年7月より発行されています。

【旅行予約サイト情報】
楽天トラベル
じゃらんnet
るるぶトラベル
近畿日本ツーリスト
日本旅行
阪急交通社
Yahoo!トラベル
H.I.S.
JAL

発売日は各社により異なります。
即日売り切れが多いのでこまめにチェックするのがコツです。

 イベント情報

広告

ページ上部へ戻る