「東大寺東塔院跡」発掘調査現地説明に参加しました。

東大寺は大仏殿が有名ですが、日本最大の七重塔があったことも知られています。
1970年の大阪万国博覧会では、86mの七重塔が復元されその時の相輪が東大寺に寄付されています。

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相輪の高さだけでも23.3mと近くで見るとどでかいです。

実際の東塔の高さは100mという説もあり、奈良時代の人々にとっては大仏殿と東西両塔の巨大建築物は驚愕であったことと思われます。
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(大仏殿内の七重塔模型)

東塔は奈良時代の764年に完成し、1180年の平重衡の南都焼き討ちで焼失しました。
その後、鎌倉時代の1223年に再建されたが、1313年に雷火により再び焼失し現在まで再建されていません。

キャプチャ
(出典>>「東大寺東塔院跡」発掘調査現地説明資料)

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「東大寺東塔院跡」発掘調査現地説明会

東大寺は「東大寺境内整備基本構想」により、2015年7月より東塔跡の発掘調査を開始しました。
2015年11月21日に発掘調査の現地説明会が行われたので、参加しました。
東塔跡
(発掘調査前の東塔跡)

構内
(現在の東大寺境内)
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(江戸時代の東大寺境内)

調査

(調査地平面図)

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まず、受付で発掘調査の資料をもらい発掘現場に向かいます。

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今回の発掘でわかった事

今回の調査で、鎌倉時代の基壇(きだん、土台)様相がわかりました。基壇の規模は約27m四方で高さは1.7m以上です
奈良時代の基壇は24m四方と考えられており、奈良時代の基壇の上と側面に盛り土を行い、大きな基壇にしていることがわかりました。

その盛り土は、焦土が混じり奈良時代の瓦が混じっているため、南都焼き討ち時に焼失した瓦を使った事がわかりました。
心礎や礎石は近代に抜き取られています。

基壇の礎石を抜き取った穴の状況から、鎌倉時代の塔は柱の間が3間四方であり、柱間寸法は、中央間20尺(約6m)、両脇間18尺(約5.4m)ということが想定できます。
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調査団長の鈴木嘉吉(かきち)・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は「奈良の寺は天平時代の姿で復元するのが常識だったが、初めて覆った。大仏殿や南大門と同様、中国・宋の様式を採り入れ、柱を太くして丈夫な塔を造ったのでは」と話す。

柱間の寸法(中央が約6メートル、左右が約5・4メートル)は南大門と同じで、奈良時代よりも柱を太くして「貫(ぬき)」と呼ばれる水平材を柱に通し、建物の構造を支えたと考えられるという。
(出典 朝日新聞)

心礎・礎石はどこにいったんだろう?

心礎・礎石が近代に抜き取られているということですが、どこへ行ったのでしょうか?
大きくて重い心礎や礎石ですので、夜中にこっそり盗すむということは考えられません。

江戸時代後期や明治時代には、大仏殿自体も老朽化が進み、東大寺でも資金難の時代になりました。特に廃仏毀釈以降は奈良の寺院も大きな危機に直面しました。

明治時代に、はやった古寺の礎石売買もそのような時代背景により行われたのでしょうか?

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(礎石抜き取り跡)

東大寺に隣接する、外国人に人気がある「依水園」に東大寺西塔の心礎があるという情報を得たので、行ってきました。
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池の護岸石に使われている手前の大きな石が、東大寺西塔の心礎といわれています。分割され残りの部分は大阪に運ばれたと伝わっています。

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建物の前にある大きな石が心礎です、池側から見ると大きさがわかりますね。原型の2/5程度という説もあるので、相当大きな石だったんですね。

「東大寺東塔院跡」発掘調査現地説明会資料

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