
猿沢池のほとりにある采女(うねめ)神社の社は、鳥居(猿沢池側)から背を向けています。
回りには垣があり、お詣りは垣の隙間からするしかありません。
斜めになりますが、なんとかお詣りできました。
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采女神社が猿沢池から背を向けているわけ
「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした」
このような悲しいお話しですが、采女神社は「縁結びの神様」となっています。自分の叶えられなかった願いを、叶えてくれる心優しい神様なのです。
よく見ると垣の中に絵馬もありますね。では、どうして・・・・・?
采女祭
毎年中秋の名月の時、扉は開きます。
鳥居の扉が開き、池側からみても社は完全に背を向けていました。
鳥居から入って、正面に回りお詣りができます。こうなってたんですね。
実はこの「采女祭」奈良市の大イベントとなっています。
月が出る前の夕方からお祭りは始まります。
JR奈良駅から猿沢池のほとりの采女神社まで花扇奉納行列が行われこの祭りがスタートします。
秋の七草で飾られた高さ約2m花扇を牛車に乗せ、人が引きます。
奈良市と姉妹都市である福島県郡山市の「ミスうねめ」(郡山うねめまつりもあります)や「ミス奈良」も花を添えます。
(ミスうねめ)
このあと花扇奉納神事が行われます。
神事の後は、猿沢池に龍と鳳凰の形をした二艘の船を浮かべ花扇と共に猿沢池を2周まわります。船は池の中で花扇を浮かべます。
(龍の船)
(鳳凰の船)
もう一つの采女伝説
采女の出身地は、現在の福島県郡山市ということなので采女繋がりで、奈良市と姉妹都市となっています。
福島県郡山市には、もう一つの「采女伝説」があります。
約千三百年前、陸奥の国安積の里(現・郡山市)は冷害が続き朝廷への貢物ができないほどだった。このため奈良の都から巡察使葛城王が訪れた。
里人たちは窮状を訴え貢物の免除をお願いした。しかし、その願いは聞いてくれなかったという。
その夜、王をもてなす宴が開かれ、王は里長の娘、春姫を見そめた。春姫は心から王をもてなした。王は大変喜び、春姫を帝の采女として献上することを条件に、貢物を三年間免除することになった。春姫には、次郎という相思相愛の許嫁がおり、悲しみをこらえて別れた。
都での春姫は、帝の御蘢愛を受けていたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せ、愛する次郎の待つ安積へ向かった。
里へたどりついた春姫は、次郎の死を知り、雪の降る夜、あとを追って次郎と同じ山の井の清水に身を投じた。やがてみちのく安積の里にも春が訪れ、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れていた。
だれ言うともなく、二人の永遠の愛が地下で結ばれ、この花になったのだと噂をした。「安積の花かつみ(学名ヒメシャガ)」とは、この花のことです。
(出典>>郡山うねめまつりHP)
1300年前の采女の物語を通して、福島県郡山市と奈良県奈良市は姉妹都市として交流を行っています。