「薬師寺東塔」奈良時代に「新設」が明らかに!!(奈良県奈良市)

薬師寺東塔(奈良市)は、藤原京にあった薬師寺(橿原市-現・本薬師寺跡)が平城京に遷都された時に、移設されたものか?新しく建てられたものか?が謎であった。

薬師寺は680年に天武天皇が建立を発願し、天皇没後、皇后だった持統天皇が藤原京に薬師寺を創建した。平城遷都後に現在地へ移転し、その後、堂塔は兵火などで失われ、当初の建物は東塔だけが現在まで残っている。
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▲本薬師寺跡の塔礎石

東塔は、傷みが激しいため平成21年より解体修理を行っている。修理は完全なオーバーホールで、瓦・木部・基壇などを全て解体し地下の発掘調査も行われた。
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奈良文化財研究所・奈良県立橿原考古学研究所は、2015年8月に基壇(基礎)部分の発掘調査結果を報告している。
基壇は、明治時代の修理時に外装を新しくしたが、本格的な調査は行っていなかった。
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その中で、和同開珎を容器におさめることなく、貨幣を直接掘込する地鎮供養を行ったことがわかった。奈良文化財研究所などは基壇調査後も、引き続き東塔修理と同時に調査を行っている。

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その中で2016年12月19日に、心柱と部材のヒノキ材の年代測定を行った中間結果を発表した。
東塔の部材71点の年輪年代測定を実施し、1階の部材などの伐採年が729年と730年と判明し、塔中央の心柱(直径90cm、高さ30m)については、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。
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藤原京の薬師寺(本薬師寺)から移設されたとすれば、伐採年が平城遷都の710年以前ということになる。
このことにより新築?移設?論争は、平城京遷都後の現在地での「新築説」が確定的となった。

国宝薬師寺東塔は、一見六重に見えるが実は三重の塔で、各層に裳階(もこし)と言われる小さい屋根がある。
この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれてる。
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塔の上層部を相輪といい、その上部に塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られている。
水煙には透かし彫りされた24人の飛天が笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空に御仏を讃えている。

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▲修理のために外された東塔水煙

東塔の解体修理は、傷んだ部分の修繕を行いながら再び組み上げ、平成32年の6月頃に修理が完了する予定である。

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