数奇な運命のイケメン仏像「興福寺仏頭」を調べてみました

興福寺国宝館に安置されている人気仏像の「銅造仏頭」(国宝)には、頭だけになった物語があります。
立像なら、丈六(1丈6尺)と言われているので4.85mの仏像となります。

いつからか「白鳳の貴公子」と呼ばれ、2013年に東京藝術大学大学美術館で「国宝興福寺仏頭展」ということで美術館の主役となりました。

確かに貴公子と呼ばれるのにふさわしい端正な顔立ちで、微笑んでるような眼差しは美しく人をひきつけます。

しかし、今の頭だけの姿になった悲しい歴史があり日本の歴史に翻弄された仏像であることは間違いありません。

今は、興福寺に安置されていますが、元々は山田寺というお寺の本尊でした。

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山田寺創建から仏像開眼まで

山田寺は、舒明天皇13年(641年)に整地工事を始めて、2年後の皇極天皇2年(643年)には金堂の建立が始まります。

仏教伝来は538年説と「日本書記」の552年説があります。そして飛鳥寺(法興寺)が建立されたのが588年で593年に四天王寺の建立にとりかかっています。また法隆寺建立が607年と伝えられています。

これらの寺に比べて山田寺は決して古いとは言えませんが、たいへん注目されているお寺なんです。
なぜかというと、これらの建築物は火事などで既になくなっているからです。現在最古の木造建築である法隆寺も670年に全焼したと「日本書紀」に記載されています。

古代の寺院の建立時期や経過などは不明なところが多いのですが、山田寺に関しては「上宮聖徳法王帝説」の裏書に記述されています。

当時の山田寺も現在はなくなっていますが、しかし昭和51年から58年までの調査と平成8年の調査により、創建当時の東回廊と南回廊の連子窓が土に埋もれた状態で出土し寺院の全容が明らかになりました。

古代の建築物がことごとく焼失している現在、当時の建築を知るための大変貴重な遺跡で注目をあびています。

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(出土した東回廊)

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(復元された東回廊)

山田寺の歴史
「裏書」の2行目以降には、堂塔の建設次第を記しています。
1.舒明13年(641)浄土寺を始む。地を平す
2.皇極2年(643)金堂を立つ。
3.大化4年(648)初めて僧住む。
4.大化5年(649)大臣害に遇う。
5.天智2年(663)塔を構える。
6.天武2年(673)塔の心柱を立つ。舎利を納める。
7.天武5年(676)露盤を上ぐ。
8.天武7年(678)丈六仏を鋳造す。
9.天武14年(685)仏眼を点ずる。

「大化5年(649)大臣害に遇う」とはどういうことでしょうか?

山田寺は、蘇我氏の一族の蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)発願による氏寺です。

石川麻呂は、伯父である蘇我蝦夷・従兄弟である蘇我入鹿らの蘇我氏本宗家とは敵対しており、中大兄皇子・中臣鎌足らと共謀して645年の乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件)に加担しました。

その結果、新政権では石川麻呂は右大臣に任ぜられました。しかし649年、異母弟・蘇我日向は、石川麻呂に謀反の志があると中大兄皇子に密告したため、孝徳天皇の軍勢が差し向けられた。石川麻呂は抗戦せず、一族とともに山田寺仏殿前で自害しました。

しかし、遺品を整理していると重宝や書籍類には中大兄皇子に捧げる銘があり、石川麻呂の忠誠心が本物である事がわかり冤罪だと気づきます。

この事件により、山田寺の造営は長い間中断されましたが663年塔の建築にとりかかります。
しかし伽藍全体が完成するのには時間がかかりました。天武朝にはいって、完成することになるが、これには石川麻呂の孫に当たる、後の持統天皇の力が大きかったと想像できます。

そして、685年の37回目の石川麻呂の命日に丈六仏、すなわち現在ある仏頭の開眼法要が行われました。

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(現在の山田寺跡)

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(出典 飛鳥資料館)

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(当時の山田寺 現地解説看板)

山田寺の伽藍配置は中門・塔(五重塔と推定)・金堂・講堂を伽藍の中軸線上に南から北へ一直線に並べるもので、四天王寺式伽藍配置と似る。ただし、四天王寺では中門の左右から伸びた回廊は講堂の両端に取り付くのに対し、山田寺では回廊は金堂と講堂の間を通り、講堂は回廊の外側に位置する点が異なっている。回廊の規模は東西85m、南北89mである。
(出典 ウィキペディア)

肝心な仏像については、「丈六」という表現がされているだけで、誰がどのように製作したのか、形状はどのようなものなのか解明されていません。

山田寺の繁栄

当初は、蘇我氏の氏寺とし出発しましたが、国立寺院である官寺の扱いを受けていたようで、文武3年(699年)には封戸300戸(東大寺150戸)という最高位の禄高があたえられていました。
奈良時代前半までは相当な勢力があったようです。

やがて封戸が停止されると、石川麻呂の子孫である石川氏の氏寺の性格が強まった模様です。
その後は、10世紀に伽藍を囲む掘立柱大垣を建替えたり回廊を改修した形跡が発掘調査でわかっています。

平安時代の1023年には、藤原道長が高野山参拝の途中で立ち寄り、金堂内の飾りつけの様子を素晴らしいと「扶桑略記」で伝えています。

また1034年には多武峰の善妙が、命日である3月25日に法華八講(『法華経』8巻を第1巻から1巻ずつ8回に分けて講義し賛嘆する法会)を収めています。(多武峰略記)

繁栄から衰退へ

しかし、そのすぐ後の11世紀前半に東斜面の土砂崩れにより東面回廊から南面回廊と宝蔵が倒壊したことが発掘調査でわかりました。しかし、金堂や塔への被害はなかった模様です。

1096年には、山田寺の鐘が多武峰に持ち去られ、多武峰の浄土堂の梵鐘がもたらされたと「多武峰略記」に記載されています。

当時、山田寺は多武峰の末寺となっていたようです。

興福寺による仏像の略奪

文治3年(1187年)事件は起こりました。
興福寺東金堂の僧侶が、山田寺講堂の薬師三尊像を持ち去るという事件が発生しました。

興福寺は、治承4年(1180年)平重衡(たいらのしげひら)の南都焼討で殆どの伽藍が焼失し、東金堂は文治元年(1185年)には再建されたが本尊の造立には難航していた模様です。

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(興福寺 東金堂と五重塔)

それにしても、僧侶が仏像を略奪するという暴挙には驚きますね。
当時、山田寺は相当荒れていた状況と思われます。興福寺側としては、荒れた山田寺に素晴らしい仏像を置いておくのはもったいないと考えたのかわかりませんが、もっと納得のいく移管がなかったのでしょうか?

当時山田寺は、仁和寺宮(後白河天皇の第2皇子)の支配下にあったため、興福寺と仁和寺宮との間で協議はおこなわれたようだが、結局そのまま興福寺の東金堂の本尊として安置されたようです。

山田寺自体は、金堂・塔が12世紀後半に焼失しています。興福寺の僧侶が乱入した時に焼討されたという説もあります。

度重なる災難

文治3年(1187年)山田寺から略奪され、興福寺の本尊となった薬師三尊像の中尊薬師如来の頭部が仏頭にあたります。

興福寺のHPによると、文治3年(1187年) 3月9日 山田寺薬師如来坐像を東金堂に移す となっています。

山田寺側の文献には、丈六という記述だけだったため、詳細な仏像の形状はわからなかったのですが、仏頭の全身は立像ではなく坐像ということがわかりました。

建永2年(1207年)十二神将が造立され、日光・月光両菩薩・十二神将などを従え東金堂は完全に復興しました。

応永18年(1411年) 10月15日 五重塔・東金堂・大湯屋焼失 とあります。
東金堂の火災で本尊を運び出すことはできませんでした。銅製の仏像は重く運び出すのは不可能であったと思われます。

その後、所在不明となった訳ですが、現在仏頭を見ると顔は火災の熱にも関わらずきれいな状態でいるのは、当時の僧侶が仏像を守ろうと必死に努力した結果だと思います。

所在不明となっていたのは、応永22年(1415年)に再興された現東金堂本尊台座に納められてしまったからです。

そして時代は昭和になりました。昭和12年(1937)10月、東金堂の解体修理中に現本尊台座内にあるのが偶然発見されました。

「仏頭」は台座の中で木箱の上に乗せられ、本尊と同じ西向きに置かれていました。
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「仏頭」の下の木箱に何が入っていたかが気になりますよね。
木箱の中身は、焼けただれた銀製の仏手が入っていたそうです。
これは、『興福寺流記(るき)』の東金堂「銀造弥勒仏」に相当するものと思われます。

気軽に見れるレプリカ

仏頭のプリカが見られるので撮影してきました。
本物は、興福寺の国宝館ですので写真撮影は禁止されています。

奈良文化財研究所 飛鳥資料館

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クラブツーリズム奈良センター

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関連記事>>興福寺仏頭が80年ぶりに東金堂に戻りました。

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